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[第2話 疾走の証券会社編]


■慣れない大阪の地で飛び込み営業を経験

社会人になったばかりの2000年4月、私は大阪の難波にいました。私は東京採用だったのですが、なぜか関西に配属されたのです。とはいえ大阪は親会社である大和銀行のお膝元なので、営業においては知名度の面で有利に働きました。証券会社の新入社員が行なう営業活動はただ一つ、飛び込み営業です。私はビジネスバッグを片手に難波や心斎橋の商店街を歩き回りましたが、すでに相場は下がり始めており、環境はいいとは言えませんでした。

当時、コスモ証券が新入社員に持たせた商品は3つ。

  • 「野村證券の中期国債ファンド」

年利率1.2パーセントの低リスク商品。当時の銀行金利から考えると破格の条件で、資金の囲い込みのために用意されたもの。

  • 「EB債(エクスチェンジャブル・ボンド)」

他社株転換可能債券とも言われる複雑な金融商品。短期間で年利率5パーセント程度のクーポンを保証するが、ある株式の価格が一定額を下回ると元本が現金ではなく株券で召喚される。

  • 「毎月分配型外国債投資信託ローズ」

先進国の投資的格債にのみ投資を行う投資信託で、毎月分配金が出るのが特徴。円高時に購入して円安時に売却すると利益が生じる。証券会社の販売手数料3%と投資信託会社の信託報酬がかかる。

このなかで私がまず販売したのは、NTTドコモのEB債です。確か当時のドコモの株価250万円に対して債権の払い込み価格は190万円で、期間は3か月。ドコモの株価が190万円まで下がらなければ元本を現金で償還され、それ以下であれば株券で償還されるという条件でした。

私はNTTドコモのEB債の資料を心斎橋筋の商店街に配って歩き回ったのですが、商店街のいいところは必ず玄関が開いているということ。店内に入ってお客さんがいなければ、そのまま商品説明を聞いてもらえる可能性もあるのです。

■全新入社員のなかで最速の受注

こうした営業活動を続けて5日目のこと。ある洋品店に飛び込むと店先のおばあちゃんが聞く耳を持ってくれそうだったので、私は口を開くやいなや、一生懸命に商品説明をしました。

すると、黙って私の話を聞いていたそのおばあちゃんは「分かった。2つ買うたる」と一言。断られるのが当然だと思っていたので、その予期せぬ言葉に驚きました。だけどいざ「買うたる」と言われても、その先どうすればいいか分かりません。慌てて支店に戻ってそのことを報告すると、支店長と副支店長は私の、というよりも新入社員全体での初受注を心から喜んでくれました。どうやらNTTドコモのEB債は売れ筋で在庫が少なくなっていたようで、支店長は本部に連絡を入れてしっかり在庫を確保してくれたことを覚えています。

それから私は副支店長と同行して再び洋品店に戻り、副支店長のほうから改めて商品説明をしてもらいました。そのおばあちゃんは他にも一千万円ほど株式を保有しており、新聞の株式欄を毎日チェックしてグラフをつけていました。それでNTTドコモの株価が短期間にそこまで値下がりしないと判断し、投資に踏み切ってくれたのです。それともう一つの決め手として、知識が不十分ながら一生懸命に説明する私の姿を可愛いと思ってくれたみたいですね(笑)。

こうして私の初商いが終了しました。全新入社員で初めてのEB債の取引で、この成果は当時のコスモ証券の習慣として全支店へ一斉にメール配信されることになったのです。

翌朝、新入社員の研修責任者が東京本部からやってきて、私はその方に喫茶店でモーニングをご馳走になり、なぜか関西の配属になったことを謝られました。実のところ、入社前の研修に茶髪で来た私を退職させるための人事だったらしいのです。さらに「東京に配属し直してやろうか?」という提案をしてくれたのですが、私は丁重に断りました。大阪の街と、コスモ証券難波支店が好きになり始めていたからです。

実際、難波支店の先輩方には本当によくしてもらいました。なかでも特にお世話になったのは、デスクが隣で私の教育係でもあったSさんという女性。彼女は40代の総合職で、営業成績は常にトップクラスでした。Sさんはいつも「営業の神さんは必ず見てるから、一生懸命がんばるんやで」と温かい言葉をかけてくれました。私のことを、真っすぐで潔い誠実な営業マンに育てようとしてくれていたのだと思います。

NTTドコモのEB債を販売したあとは、自動車修理工場のおじいさんに野村證券の中期国債ファンドを1500万円で販売しました。中期国債ファンドは当初の販売手数料は発生しないものの、低リスクの1.2%の年利率で資金導入することで販売手数料が入るリスク商品にひっくり返すための商品です。この取引のときも副支店長に同行してもらって契約し、その他に2500万円分の株券を名義変更のためにお預かりしました。

翌朝、「難波支店の大川さんが中期国債ファンド1500万販売。株券2500万の資金導入!」という内容のメールが社内に一斉配信されました。こうして同期よりもいち早く結果が出たことで、私は少しずつ天狗になり始めます。

慢心した私は「朝9時から夕方17時まで休まず営業するのは土台無理な話」と勝手に解釈し、街のゲームセンターなどで時間を潰すのが日課になっていきました。そうなると当然、営業成績は下がっていく一方です。

そんな怠惰な日々を過ごしていたある日、携帯電話を落として困っていたら、副支店長が支店の携帯電話を貸してくれました。私はその携帯でプライベートなメールをしたのですが、私は送受信の履歴を消さずにそのまま副支店長に返してしまったのです。このことは後日、私が難波支店を離れるときに知らされるのですが、このメールの事件あたりから支店内での私に対する風当たりがきつくなっていきます。このとき私は、Sさんの教えに間違いがなかったことを痛感しました。そう、営業の神様は私をずっと見ていたのです。

■良心の呵責に耐えかね、東京へ

ちょうどその頃、新人によるローズ(毎月分配型外債型投資信託)の販売レースが行われました。コスモ証券は大阪が基盤なので難波支店の既存顧客も多く、私は先輩が対応しきれない顧客を、東京の同期よりも早く引き継いでいました。そこで私は引き継いだ顧客に対して、口座の資産をローズに切り替えてもらうことを提案したのです。

結果的にそのレースで好成績を収めてティファニーのネックレスをもらいましたが、同時に安易な方法で数字を出していいのだろうかという罪悪感も覚えました。Sさんが育てようとしてくれた真面目な営業マンとは、正反対の方向に進んでいるのではないかと…。

一方で会社の業績的に言えば、ローズは投資信託で販売手数料の3%が入るわけで、そうした一連の動きは支店の収益的には多少なりとも貢献しました。そしてこの経験をした私は、安直に数字を稼ぐ方法に敏感になっていきます。

その頃から、コスモ証券では「日経平均連動債」という商品を販売し始めました。日経平均が一定金額まで下がらなければ元本保障で高利率の配当が受けられ、逆に一定より下がると元本が目減りするという商品です。当時は森首相が失言するたびに株式相場が影響を受けるくらい、ピリピリした雰囲気が漂っていました。

日経平均連動債は金融派生商品(デリバティブ)のオプション取引で成り立ち、組成したのは外資系投資会社(モルガンスタンレー、UBS、ゴールドマンサックスなど)。コスモ証券はその販売会社をして販売手数料を受け取るわけですが、その実態は酷いものでした。

外資はオプション収入の一部を個人投資家に金利として渡し、日経平均先物を売り、信用取引で株式を売り、日経平均連動債をノックインさせます。その価格が安くなったところで信用売りを買い戻し、暴利を稼ぐというからくりです。その餌食になったのが、日本の個人投資家でした。要するに日本の各証券会社は日経平均連動債券の販売手数料を得るため、自社のクライアントに負担を強いたというわけです。その後、金融庁は株式相場と個人投資家を守るために、空売り規制を行なうことになります。

ちなみに日経平均連動債は、一万円を割り込む水準にノックイン価格を設定していました。これは1990年のバブル崩壊後10年以上なかった水準で、入社当初に1万7千円だった日経平均は翌年に1万円を割り込んでいました。

こうした極端な下げ相場によって、コスモ証券の同期たちは一様に精神を磨り減らしていきました。同期の一般職女性社員はすでに半数以上が辞め、私と一緒に難波支店に配属された2名も退職し、ディーリングルームや商品開発部門に配属されたエリート社員たちも同様に苦しんでいました。見かねた人事部は新入社員を守るため頻繁にジョブローテーションを行ないますが、なかなか状況は好転しません。

実際、私自身も精神的に参っていました。自分で資金導入したクライアントは堅実な方が多く日経平均連動債は購入しませんでしたが、支店の既存客には保有商品から日経平均連動債への乗り換えを提案したことで、多大な迷惑をかけてしまったのです。

社会人になったばかりの私には、その現実と向き合う勇気がありませんでした。それで私は教育係のSさんに相談し、結果的に新橋支店へ異動させてもらうことになるのですが、ありがたいことに難波支店の皆さんは東京に逃げ帰る私を温かく送り出してくれたのです。思えば当時の課長からは、特に激しいダメ出しをもらいました。だけどそれは決して理不尽なものでなく、人生経験の浅い私でも、それが愛情によるものだと分かる指導でした。

新橋支店に異動してからほどなくして、Sさんがコスモ証券を退職したことを知りました。ともあれ、もしあのとき難波支店から逃げ出さなかったら、私の証券会社での職歴はもう少し実りあるものになったかもしれません。

■新橋支店に異動した矢先の9.11

新橋支店に異動してからは米国債やオーストラリア債、ニュージーランド債などの外貨建債券、新規公開株の販売をして手数料を稼ぎました。ベテランの営業マンたちは投資信託の販売ノルマがある一方で、2年目の私はそこまでのノルマはなく、割と相場状況にあった商品を選んで営業活動ができたのは幸いでした。

そうした状況も手伝って、その頃には販売手数料が支店でトップになる日もありました。先輩たちがあまり扱わない商品を選んで手数料を稼いでいたので「あいつは手数料の稼ぎかたを知っている」と重宝され、可愛がってもらえるようになったのです。私の前任で商品開発部に異動した同期が真面目な男で周囲からの信頼も厚く、彼の顧客を引き継げたというのも大きかったですね。

森首相のあと誰が総裁になるかが話題に上がり、日経平均が9000円の水準で相場が8500円~9500円のあいだをいったり来たりしていた頃、私は一人の顧客と信用口座を開き、日経平均と連動性がある銘柄を信用買いしました。するとその直後の2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起こります。高層ビルに戦闘機ごと突っ込んで爆発する映像は本当に衝撃的で、後にイラク戦争や中東問題に端を発する事件だと分かるのですが、当時の私にはなぜそんなことが起きるのか全く理解できませんでした。

翌日の相場は影響の大きさを鑑み、いつもより遅れてスタートしました。すべて売り気配の株価ボードを見て、大阪出身の支店長が「ブラックマンデー以来やで」と呟いたのが印象に残っています。

つい先日に開いたばかりの信用口座は、9.11の影響で追加保証金(相場の変動による損失が生じて委託保証金または委託証拠金の担保力が不足したとき、顧客から追加徴収する金銭のこと)が発生しました。その顧客は一度は追加保証金を入金したものの、2回目の追加保証金の連絡を入れたところで損切を決意されたようで、私はその方から罵詈雑言を浴びせられました。

保証金の連絡をするときや損切りの伝票を通すとき、私はいたって平静を装いました。提案したのは私、決めるのは顧客。リスクもリターンも顧客に帰属する。それが証券仲介業の鉄則です。しかし顧客から手数料を受け取り、相場で損をさせて心が傷まない人間はいません。また、仲介手数料のノルマを満たしながら相場で勝ち続けられる証券マンもいないのです。

私はこの件があってから、仕事に対する情熱を完全に失いました。営業中にパチンコに行き、お金がなくなると寮に帰って昼寝。当然ながら営業成績は後輩に抜かれます。そんな荒んだ生活から抜け出すには、異動か転職しかないと考えるようになったのは自然な流れでした。

■宅建の資格を生かすため建設・不動産業界へ

実は難波支店時代に「証券外務員一種」の資格を取得し、新橋支店では「AFP(ファイナンシャル・プランナーとして充分な基礎知識を持ち、適切なアドバイスや提案ができるFP技能を習得した者に与えられる資格)」を取得していました。私は学生時代に宅建を取得してからと言うもの、仕事に関する勉強には比較的、真面目に取り組んでいたのです。だけど宅建の知識は証券マンでは活かすことができません。ファイナンシャル・プランナーとして学ぶなかで不動産投資信託に興味を持ち、その仕事をしたいと考えて商品開発部への異動希望を出したのですが、その希望は叶いませんでした。それで私はこの頃から、転職を強く意識し始めます。

転職先としては、不動産か建設業界を考えていました。宅建の資格を活かしたかったからです。また、実家がアパート経営で安定収入を得ているのを知っていたため、ハイリスクハイリターンである証券会社の仕事から、ローリスクローリターンの仕事にシフトしたいと考えていたのも事実です。転職活動は「エン・ジャパン」と「リクナビ」の媒体を通じて行ない、思っていたよりもすんなり転職することができました。

私が転職先として選んだのは、ジャスダック上場のスターツ株式会社(現:スターツコーポレーション株式会社)。決め手になったのは人事担当者の「弊社では顧客のためになる仕事をしています」という言葉でした。それと宅建を持っていたので、建築営業をしながら不動産の賃貸・売買仲介の仕事もできるのではないかと考えました。

こうして私は2年半という短い年月でコスモ証券を後にするわけですが、皮肉なことに「自民党をぶっ壊す!」の公約を掲げて旋風を巻き起こした小泉首相のカリスマ的リーダーシップと聖域なき改革によって、相場は間もなく好転します。結果的にコスモ証券の親会社である大和銀行は公的資金を注入後、りそな銀行に生まれ変わりました。コスモ証券はゲーム会社に買われて上場廃止となり、現在は岩井証券と合併して岩井コスモ証券株式会社へと形を変えています。

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