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第一章 起業までの道のり [第1話 苦渋の就職活動編]


■2年遅れの大学生活

突然ですが、私は大学を一度入り直しています。18歳で茨城県の流通経済大学経済大学に入学し、留年と同時に退学。一浪して神奈川県の東海大学法学部に入学したので、周りとは2年遅れです。高額な大学の入学金や学費を2度も両親に負担させるという、本当にどうしようもない学生でした。

就職に備えて宅地建物取引主任者を取得したのは大学3年のとき。同世代よりも大学卒業が2年遅れるので、せめて資格くらいはとっておこうと考えたのです。今思えば大学3年次に宅建に合格したことが、一級FP技能士事務所・株式会社Brain Trust from The Sunを設立するはじめの一歩でした。

それまではスポーツクラブで楽しくアルバイトをするなど、いわゆる普通の大学生活を送っていましたが、宅建に合格してからは就職を意識し、近隣の不動産会社に「アルバイトをさせてほしい」をお願いして回りました。いま考えると、なかなかの行動力ですよね。いまそんな学生がうちの会社に来たら、すぐに採用すると思います。

■不動産会社にアルバイト採用を直談判

結局、3社の不動産会社が私をアルバイトとして採用してくれました。一社目は神奈川県厚木市にある株式会社厚木地所。仕事としては大学の学生課に不動産の賃貸物件を紹介し、新入生がその物件を借りたら歩合が入るという内容です。これは自ら厚木地所に持ち込んだ企画で、海老名支店の支店長が快く受け入れてくれました。確か一件成約につき2万円の成果報酬だったと思います。金額だけみれば時間がかかる割にはスポーツクラブのバイトと比べても少なめでしたが、実績が出たことが素直に嬉しかったですね。私の初めての挑戦にチャンスをくれたその支店長には、いまでも感謝しています。

二社目は、不動産物件のデータベースを作成する仕事。当時はいまのようにインターネットから簡単に物件情報が手に入る環境がなかったため、自社で住宅情報を地道に入力してデータベース化する必要があったのです。リクルートの住宅情報やアットホームのマイソクといった、不動産広告に初めて触れたのもこの頃です。

この会社の常務は私にブラインドタッチを学ばせるため、「特打ち」のようなタイピング習得ソフトを業務中にやらせてくれました。海老名支店の支店長もこの会社の常務も先進的な考えの持ち主で、不動産業の知識も豊富にあって非常に有能でした。三つ揃いのスーツと高級車が似合う、いわゆる「イケてる不動産屋」でしたね。

三社目は株式会社リクルートコスモス(現:株式会社コスモスイニシア)。確かその会社には青学出身の社員が多く、彼らから新卒で月給30万円という話を聞いて、私もこの会社に就職したいと思うようになりました。

当時、私が住んでいたアパートの最寄り駅が小田急線の「東海大学前」。その会社では隣駅の「鶴巻温泉」で新築マンション分譲をしており、モデルルームの責任者は非常に若く私と同い年でした。仕事内容は物件の周りにチラシを配ること。私のほかに配布要員がもう一人いたのですが、彼は慶応大学を卒業して商社に入社するため就職浪人中でした。モデルルームの責任者と友だちということでこの仕事に携わり、チラシを配る現場には彼の車で移動したことを覚えています。

鶴巻温泉駅の現場が終わったあとは、モデルルームの道案内の看板を持つ仕事を経験しました。これは楽そうに見えて、実は車の排気ガスに耐えなければならない過酷な仕事。そのなかで私は自分の仕事ぶりをアピールしたくて、ただ看板を持つだけでなく積極的に道案内や車の誘導をしたんです。要はリクルートコスモスの社員になりたくて一生懸命だったんですね。やはり当時の私には、一部上場企業の看板と高い初任給は魅力的でした。

だけどそのアルバイトは、排気ガスで喉を痛めたこともあって辞めてしまいました。それに貴重な大学生活を、入社目当てで社員に媚びを売る時間に使いたくないと思ったのも確かです。「今しかできないことをしたい」と考えを改め、再びスポーツクラブのアルバイトに戻りました。 

スポーツクラブでのバイトは仲間がいたぶん、とても楽しかったです。バイト仲間とは遊ぶときも食事するときも常に一緒でしたね。最初は受付やジムでの接客をしていましたが、戻ってからはプールの担当です。暇さえあればプールで泳いだりジムで鍛えたりして、浪人時代に太っていた体は、大学卒業時には腹筋が6つに割れるほど引き締まっていましたよ。そう言えば当時は、実家からもらった車でアルバイトに通っていました。今から考えると生意気な大学生ですよね。

■金融系の一部上場企業を求めて

いよいよ本格的な就職活動シーズンを迎え、同級生で最も要領がよかった友人に就活について相談すると、彼は私を就職指導室に連れて行ってくれました。就職指導員は三井物産のOBで、彼の体験談を交えた物流や金融の話がとても興味深くて面白く、それに感化された私は金融業界を志望することを決めたのです。

だけど色々と調べるなかで、一流の銀行や商社に就職するには東海大学法学部では難しいことが分かりました。特に都市銀行にはリクルーターと呼ばれる卒業生がいないため、一次選考を通過することもできません。当時は第一勧業銀行や富士銀行、三和銀行などが合併前で都市銀行自体の数は今より多かったのですが、大学名だけでことごとく落とされました。ちなみに要領のよかった友人は地方銀行から内定をもらい、彼はいま、その銀行の支店長まで上り詰めています。

こうして学歴の壁を痛切に感じさせられるなかで、ふと厚木地所の支店長の顔が浮かんできました。実は厚木地所ともう一社からは、就職の内定をもらっていたのです。いま考えれば、彼らのもとで不動産の仕事を覚えていたら私の独立は5年は早かったような気がします。しかし学生の私には社会の姿が見えておらず、「一部上場企業」というステータスだけを追いかけていました。

ですから当然、就職活動は難航します。「宅建を持っているのだから信託銀行なら行けるはずだ」と考え動いてみたものの、こちらもダメ。銀行が全滅したので、やむを得ず証券会社に照準を絞ることにしました。

当時の証券会社はIT 相場の真っただ中。バブル崩壊後に下がり続けた相場が一気に沸騰し、各証券会社は軒並み新卒採用を増やしていました。それで私は大和銀行(現:りそな銀行)系列のコスモ証券(現:岩井コスモ証券)から内定を得ることができたのです。念願だった一部上場企業に入社でき、僅かなプライドをかろうじて保つことができたと感じました。またそのときは、翌年にITバブルが弾け、9.11のアメリカ同時多発テロ事件が起こることなど知る由もありませんでした。

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