株式会社トリップモールの事業について
日本を観光立国に」をミッションとして、宿泊施設のプロデュースと運営、インバウンド向けの広告事業を行っています。具体的には民泊を含む宿泊事業参入に関するセミナーの実施、民泊運営サポート事業、インバウンド広告事業、民泊媒体企業と連携したホスト拡大支援、ユニークなコンセプトのインテリアコーディネート事業などですね。
セミナーだけで昨年は1000名の方にお越しいただき、その方々との繋がりが今は会社の最大の資産になっています。2020年までに4000万人の訪日客を迎えられる体制を整え、日本の伝えるべき魅力をPRする部分で寄与出来ればと思っています。
Blue Lagoon
不動産の高付加価値化で人々を笑顔にする当社(株式会社Brain Trust from The Sun)。
T-REEF Surfboard代表・富永忠男氏(日本を代表するサーファーであり、シェーパー)のプロデュースのもとの簡易宿泊所を設立。
今回、富永が作り上げた鎌倉の簡易宿所は、海をこよなく愛する彼によって日常の民家が非日常の空間として生まれ変わった。
簡易宿泊所“Blue Lagoon”では彼の多彩な経験を生かして、滞在型のレジャーを提供する。
この物件の運営代行を株式会社トリップモールが行っている。
さらに、当社代表の大川が所有しているマンションに株式会社トリップモールの山中社長が住んでいる。起業家シェアハウスである。
山中社長が抱えてる猫は大川の愛猫「しお」
彼らは東京都京橋にあるBTS-OFFICE Incubation labo の入居者でもある。
今回、下記に引用するjyobbyによる山中氏のインタビューは彼の起業までの道程は当社にとっても新たな発見があった。
山中さん:大学前半はあまり記憶がないというか(笑)
周りに流されて普通にサークルに入ったんですが全く馴染めず、3ヶ月くらいでやめて図書館にこもって映画ばかり見ていました。
大学1、2年は大学に意味を見いだせないままだらだらと過ごして、その後1年間留学に行くことを決意します。悶々とした学生が外に答えを求めて留学に行くよくあるやつですよ。
でもそんな状態だったからか、1年アメリカで過ごして感じたことは多く、特に就職に対する考え方には刺激をもらいました。
アメリカの学生って、今やってることとか好きなことを全力で仕事にしようとする人が多いんですよね。
それこそ絵が好きなら絵を描く仕事、音楽が好きなら音楽関係、みたいな。
「お前それで大丈夫か?」みたいなやつも多いんですけど、日本の100枚エントリーシートを書いて大手に行ければOKみたいな生き方よりかっこいいなって思うようになったんです。
―学生時代に起業したとお伺いしましたが、どのタイミングで起業されたのでしょうか?
山中さん:留学から帰ってきてすぐです。帰国して同世代の就活している姿や苦しんでいる姿を見て、就活に対する違和感をより強く抱くようになりました。元々起業には興味があったので、失敗して失う物もないなと思って、まずはやってみた感じですね。
シェアハウスビジネス、Tシャツ屋、家具のリノベーション販売などいろいろやりましたが、結果的には全部失敗しました。笑 結局はお金を稼ぐことへの意識が低かったことが要因だと思います。学生時代からビジネスで面白いことをやるだけで満足していて、学生団体やサークルの域を出ていなかったと思います。
―そんな山中さんはなぜ就職されたんですか?
山中さん:「就職なんて絶対するものか!」と思っていましたし、就活もほとんどしていなかったのですが、たまたま企業が行っている3日間起業体験インターンに参加し、そこで内定を頂いたんです。
結局その企業に入った理由は自分の起業家としての実力不足と、内定を頂いた会社に自己成長の可能性を感じたからです。学生レベルでも起業をやってみたことで、自分の実力不足を実感出来たのは良い経験でした。
―なにかギャップはありましたか?
山中さん:良い意味のギャップが2つあって、1つは思った以上に0→1の仕事を経験できたこと。第二創業だったこともあり、商品を生み出して、新規顧客を開拓し、販売する一連を経験できたことは貴重な経験でした。2つ目はビジネスマンとしての考え方の基礎が身についたこと。前職では経営理念を表すクレドが20数個あったのですが、毎日読んで、自分達の意見をシェアする、これを4年間続けました。今でも自分のDNAは前職で培ったと思っていますし、これからの自分のベースとして変わらないんじゃないかなと思っています。
―何かお気に入りのクレドはありますか?
山中さん:「雪が降っても、自分の責任」です。前職の会社では言い訳が一切許されず、失敗の原因を常に自分の中に見出していく考え方を教わりました。
山中さん: 1.2年目の自分は起業する為の能力を身につけようという想いでずっと働いていました。結局成長が目的で仕事をしていたので、仕事を選んだり、自分の為になることしかしないから限界を超えられないんです。上司からすれば、中途半端で仕事が振りづらいめんどくさい部下だったと思います。
3年目に人材事業の立ち上げをするチャンスをいただき、自分で開拓したお客さんやチームを持ち始めたことで、徐々に「自分のために頑張りたい」という気持ちから「この人たちの為に頑張りたい」と思うようになりました。でも経営者の役に立つことってそんなに簡単ではなくて、その時の自分の力では到底叶わなかったんです。その葛藤の中で良い意味での自己否定が生まれ、役に立つために何が出来るのかを問う思考になったんだと思います。少しずつ成果らしきものを出せるようになったのはそれからですね。
―なぜそのようなマインドになったのでしょう?キッカケはありますか?
山中さん:今思えば、自分がやっている仕事の意味を考えるようになったことがきっかけだと思います。人材の仕事って、その会社の未来さえ左右するかなり影響力ある仕事だなと。入る人が一人変わるだけで会社は変わりますからね。また自分の会社に自分も影響を与えることが出来るという実感、一緒に働いてくれているチームで何か成し遂げたいという気持ちが生まれて、関わる人のために自分が出来ることを問うようになったんだと思います。
今自分で会社を作ってみても、会社の為・お客さんの為を考えて外にベクトルが向いている人は辞めないし、成果を出すと感じています。
―独立にあたっての不安はありませんでしたか?
山中さん:上手くいくかどうかの不安は不思議となかったのですが、いかんせん根が怠惰な人間なので自己管理出来るかの心配はありました(笑)
実際メンバーの支えがなければ3回は確実に潰れていると思います。
仲間に過去囲まれてさらにドヤ顔の山中社長。
一緒に成長していきましょう。